遠藤 登 危機管理アドバイザー / 保育従事歴(保育所施設長職歴 9年/20年)
株式会社保育安全のかたち 代表取締役
(旧商号: 株式会社 産業保育エデュケーショナル)
専門分野:保育現場における救命処置法ほか、保育の事故・ヒヤリハット分析手法「チャイルドSHELモデル(c-SHEL)」の教育および、リスクマネジメント研修
1,993年に保母資格(現、保育士)ほか教諭免許を取得以降、幼稚園勤務、会社起業を経て保育所の園長職兼、子どもの傷病者対応を専門とした救命処置法の普及活動をスタート。2011年、午睡時間に心肺止した子どもを救えなかった後悔を契機に、保育を仕事にする皆さんに、子どもを守り保育を守るリスクマネジメントの研修や事故分析情報をお届けしています。
2017年~2023年度保育士等キャリアアップ研修の登壇歴
- 東京都保育士等キャリアアップ研修「保健衛生・安全対策」担当(3~15時間等)
- 東京都保育士等キャリアアップ研修「食育・アレルギー対応」(3時間)
- 神奈川県保育士等エキスパート研修「保健衛生・安全対策」(10時間)
- 相模原市保育者ステップアップ研修「保健衛生・安全対策」(6時間)
- 西宮市保育士等キャリアアップ研修「保健衛生・安全対策」(6時間)
- 徳島県保育士等キャリアアップ研修「保健衛生・安全対策」(6時間)
- 千葉県保育士等キャリアアップ研修「保健衛生・安全対策」(11時間)
- 岡山県保育士等キャリアアップ研修「保健衛生・安全対策」(15時間オンデマンド)
- 埼玉県保育士等キャリアアップ研修「保健衛生・安全対策」(7.5時間)
- 広島県保育士等キャリアアップ研修「保健衛生・安全対策」(15時間一部オンデマンド)
- 茨城県保育士等キャリアアップ研修「保健衛生・安全対策」(10時間)
- 福島県保育士等キャリアアップ研修「保健衛生・安全対策」(12時間)
- 尼崎市保育士等キャリアアップ研修「保健衛生・安全対策」(10時間)
- 宮崎県保育士等キャリアアップ研修「保健衛生・安全対策」(12時間)
- 佐賀県保育士等キャリアアップ研修「保健衛生・安全対策」(10時間)
安全対策研修 県「重大事故」を活用 事例分析し再発防止 /神奈川
保育士の待遇改善に向け全国的に今年度から導入されているキャリアアップのための研修で、保育施設から報告された「重大事故」の情報を活用しようという取り組み(中略)
毎日新聞2017年11月16日 地方版
分析と研修講師を担う「産業保育エデュケーショナル」の遠藤登代表は、「『保育事故を無くしましょう』とひとくくりにしては現場が萎縮してしまう」と指摘し、「研修で事例を通して現場がリスクを知ることで、組織的に具体的な対策を考え、保育士が必要な技術を身につけてもらうきっかけになれば」と語る。
子どもの事故の背景と保育のリスクマネジメントについて
子どもの事故というと、転倒転落、出血をしたり骨を折るといったケガがイメージされるものですが、子どもの命に関わる事故状況は、窒息や溺水といった、「息ができないことによる事故」が多数を占めます。窒息をすると、息が止まり血中酸素が減少して脳が機能を停止するといった子どもの死亡事故の特徴が見られます。(最後に心臓が止まって命を失います)
子どもが事故や病気で、一度、心停止に至ると、病院に搬送されても助かるのは10%未満です。呼吸停止した直後に発見し、心臓が止まる前に、適切に治療を受けられた場合は、70%もの子どもの命が守られています。保育現場の事故でも、呼吸は止まったが、心停止になる前の早い発見と、迅速な気道確保や人工呼吸で回復したケースが報告されています。
いったん心停止になった小児の転帰は不良であるが、呼吸停止だけの状態で発見され、心停止に至る前に治療が開始された場合の救命率は 70%以上と報告されている。
出典「JRC 蘇生ガイドライン 2015 オンライン版」第3章:小児の蘇生(一般社団法人 日本蘇生協議会)
子どもとの日常にある保育のリスクマネジメントについて
心肺蘇生ができるだけで、すべての子どもの命を救えるわけではありません。心肺蘇生は、人の命を救うための万能な魔法ではないからです。「何かが起きたときのために」だけを考えて応急手当を学ぶのでは、結果として救いたかったはずの子どもの命は救えません。
まずは日ごろから安全に配慮することが求められます。昨日できなかったことが、今日できるようになる子どもの目覚ましい成長と、保育者がつくる環境とのバランスが崩れたところに保育の事故も発生します。事故は重大・深刻なものから、日ごろの小さなケガまで様々です。子どもの生活の質(QOL)の向上を目指して保育の安全対策に取り組む必要があります。
多くの事故は防止可能であり、これによる心停止を未然に防ぐことは重要である。事故は偶発的で避けられないもの(accident)ではなく、防止可能な傷害(injury)ととらえ、不慮の事故による傷害の防止(injury prevention)についての市民啓発が重要である。
出典「JRC 蘇生ガイドライン 2015 オンライン版」第3章:小児の蘇生(一般社団法人 日本蘇生協議会)
保育の職務が果たす安全配慮と質の高い事故対応
保育を仕事にする者(保育所職員や幼稚園教諭、そして保育ママやベビーシッターなど)は、保育の利用者と保育の契約を結ぶことになります。保育の契約が結ばれると、保育を実践するにあたって子どもの命にかかわる危険性を予知して、その危険性を回避する対策を施す必要があるとされる、法的な注意義務や安全配慮義務が保育者に対して発生します(※)。
しかし、どれだけ安全に配慮しても事故は起きるものです。もし事故が発生したら、子どもへの損害・損傷が最小となるように、適切に対応する役割をもつ「対応義務者」でもあります。そのような保育者のみなさんが事故対策で委縮することなく、やりがいをもって子どもの最善の利益を求めて保育に携わっていただけるように、お手伝いすることをお約束します。
保育事故で最も問題となる債務者の義務は、安全配慮義務です。(中略)子どもの生命、身体、財産といった権利、利益を侵害することなく安全にサービスを提供することが求められています。
出典:事例解説 保育事故における注意義務と責任(新日本法規:古笛恵子編著)
これまでの遠藤 登のものがたり
高校の時に男性でも保育ができることを知って、幼児教育への興味から幼稚園教諭を目指しました。食べてはいけないからヤメなさいとの反対を押し切ってまで就職した幼稚園は、結局は辞めたものの、自らの保育観を大きく揺さぶる出会いをもたらしました。
はじまり ~ ゴミ屋敷の悲しき親子との出会い ~
「ママ~・ママ~」夜の八時になろうかというとき、その少女は、小学校五年生のお姉ちゃんに手を引かれ、泣きながら少女が通う幼稚園へとやってきました。お姉ちゃんの手を離すまいと懸命に握りながら、やっと辿り着いた様子の少女。
その手に握られた先の姉の目にも、泣くまいと堪える涙が園庭の外灯に照らされて光っていました。
その少女は、五歳になってから年長組に入ってきました。いつも、どこか遠いところを見つめる目と、お姉ちゃんからのお下がりと思われる少し薄汚れた服を着て、クラスの先生が声をかけても、子どもたちの輪の中には入ろうとはしない子どもでした。
入園後しばらくして、クラス担任の努力や、クラスの子どもたちが少しずつ彼女を受け入れ始めたことで、少女の顔には可愛らしい笑顔と、楽しそうに遊ぶ姿が頻繁に見られるようになりましたが、彼女に暗い影を落とす原因は、新しい園生活に慣れないこと以上に別にあるように思われました。
朝、幼稚園のスクールバスで家まで少女をお迎えにいくと、一向に外に出てきません。家の玄関まで出迎えにいけば、母親が、「まだ用意ができていないから」と言います。あとから連れていくと言うので園で待っていると、結局その日は無断でお休みをします。
時には、突然、訳もなくお迎えにきて、強引に連れて帰ることもありました。どうやら、小学校でも、長女に対して同じようなことが行われているということでした。それは昼間のことだけではありません。
幼稚園に一つ明かりの灯る職員室で、「おかあさんが出ていっちゃった~」という長女の、涙にかれた声の電話を受けて、残業していた職員総出で母親を探しに出たこともありました。母親はといえば、泥酔した父親と夫婦喧嘩をして、子どもを置いて家を衝動的に飛び出したものの、家に帰るに帰れず、町内をウロウロとしていたところを発見されました。
今となっては、詳細は忘れましたが、この姉妹を、私の独り住まいの狭いアパートに一晩宿泊させたこともあります。
姉の方は、小学校五年生の女の子らしく、異性である私に対して、緊張する様子を見せながらも少しずつ打ち解け、学校のことを楽しそうに話してくれました。お姉ちゃんと一緒に先生の家にお泊りできる特別な日だと、無邪気に喜ぶ妹を、私に代わって、やさしく面倒をみてくれてもいました。
妹が安らかに眠るのを見届けて、安心したかのように眠った、その長女の寝顔は、今も目に焼きついています。
保育することは、子どもの明日をつくること
今だったら、もっと違う対応ができたのか考えることがあります。あのときの自分にアドバイスしてやれることがあるだろうか。過去は変えられませんが、改めて保育者でありつづけようと思います。保育するってことが、子どもの明日をつくることと信じて。
次の一歩へ踏み出すために ~ 親子とひとつの保育との別れ ~
「こないで~」。
それは、まるで玩具を取られまいと必死になる、小さな子どもの姿のようでした。
大好きな両親の喧嘩する姿があまりにも恐くて、とうとうその夜、家を飛び出した長女と少女の二人姉妹。たぶん、子どもの足、それも泣きじゃくる妹を連れ立ってでは、幼稚園まで一時間は掛かったであろうと思われます。急ぎ姉妹の家まで車を走らせました。
突如、間に入った我々に驚いた母親は、何かから我が身を守ろうとするかのごとく、台所から悪鬼のごとく包丁を取りかざすと、私の喉元に刃先を突きつけ、何かを叫びました。それは、ほんの数分のことであったのかもしれません。
私にとっては、背中を流れる冷や汗と共に、ゆっくりと長い長い時間が過ぎました。
初めて中に飛び込んだ姉妹の家の中は、薄暗く、いつ取り込んだのか判断のつかないような洗濯物と、押入れに長く片された形跡のない黄ばんだ布団を中心にして、思わず顔をしかめるほど雑然としたものでした。
説得をしながらも、まるで目の前の子どもから無理に玩具を取り上げようとでもしているかのような自分に気づいた時、恐れは通り越し、私は、脅えるひとりの女の子と向き合っていたかのようでした。
その翌日、児童相談所の相談員が幼稚園に事情を訊きにやってきました。幼稚園においては、これ以上、この家族に深く関わりを持たないことが決められた、その数日後の、日曜日の朝のことでした。
休日を満喫して、ゆっくりと目覚めた朝の空気に浸っていた、その後ろで玄関のチャイムが鳴り、「せんせ~」と、あの姉妹の姉の呼ぶ声がします。私の家には、あの、姉妹が泊まった日以来、母親が何か困ったことがあると、大抵、朝から夕方まで姉妹の二人を預けに連れてくるようになっていたのです。
私は玄関のドアノブを汗ばむ手で握りしめ、ドアを叩く音、また、「せんせ~」と呼ばれる声を背にして、あの頃、独りではどうしていいかすら判らなかった私は、息を殺し、親子が諦めて帰っていくまで、じっと佇むほかできませんでした。
2年後の春、後悔は消えぬまま、私は、「先生」と呼ばれた場所を去ることを告げました。
事故予防の大切さをお伝えします
2011年。『発症は誰にも判らなかったし、発症したら誰も救うことはできなかっただろう』と、私は、命を救えなかった子どもの病気について教わりました。
だったら、発症させなければ、いつも通り親子で帰る姿を見送ることができただろうし、もっと予防の意識をもって子どもを見ていたら、もしかしたら、何らかの変化に気づけていたのかもしれないと、今も後悔の念が消えることはありません。
保育士としての後悔と感謝あっての活動
2,011年 1月、保育所内で保育中のお子さんが、突発性の病気(SIDSではありません)によって心肺停止に陥り、心肺蘇生と救急搬送を試みるも力及ばず、元気な姿でお母さん、お父さんの元へお引き渡しすることが叶いませんでした。
しかし過失性の高い事故なのか、仮に已む得ない事態だったのか誰にも判断できない 3ヶ月もの間、ご遺族も、保育所の他のご利用者も一切、一度として私どもを責めることはなく、反対に私たちを励まし支え続けてくださいました。
ご利用者及びご遺族を不安に、そして悲しませる経験をして、反対に保護者皆さんに支えていただく体験をした自分だからこそ、今伝えられること、そして伝えなければいけないことがあると信じ、感謝を込めて救命法の普及や保育に関する執筆活動を行なっています。